囲碁以外の交流
永代がプロ修行を辞めて、長崎の実家へ帰ったあと(20歳)も交流は続きました。
全国大会に出場するたびに東京へ行くので、年に3.4回くらいは東京に来ていたでしょう。しかも、一回の遠征で1週間近くは滞在してました。社会人が何をしてるんでしょうかね(笑)
全国大会は長くても三日もあれば終わります。早くに負ければもっと短いです。そんなに長い滞在で何をしていたかと言うと…。
…。
遊んでました!(笑)
遊び相手は望月プロに安藤和繁プロや、それに元院生仲間の色んな人達が相手をしてくれました。
望月研一プロ↓↓
よくやるのはボーリングですね。
徹夜でやることもありました。
あ、ほぼ毎回かも…(笑)
私(永代)は徹夜のあとは、当たり前のようにホテルに戻って寝ます。
しかし、望月プロと安藤プロは違いました。どんなに遊んでいても次の日の朝9時には緑星学園に行き、囲碁の勉強をするのです。これが永代さんとの違いですね。
寝てる人とは違います。
院生時代以外での思い出話しでした~
7月7日(日)の永代塾囲碁サロン4周年記念イベントにゲスト棋士として登場します。永代塾囲碁サロンには初登場ですね。
望月研一プロ↓↓
新人王戦で準優勝だったり(優勝は井山さん)、王座戦などでは挑戦者決定戦まで勝ち上がるなど実績が豊富な実力者です。
何となく指導碁会などをやっているイメージがなかったので、これまでは声を掛けていませんでしたが・・・。
とりあえず昔の仲間のよしみで声を掛けてみたら、思いのほかにOKの返事をいただきました(笑)
望月プロとの付き合い
中学1年くらいからの付き合いがあります。
同級生なのですが、院生に入ったのは私のほうが先です。
そのうち、同級生の院生は15人ほどに膨れ上がるのですが・・・(笑)
望月プロのほうが強かったので、常に少し上にいるイメージです。少し調子が良くて上のほうへ進むと待っている感じですね。
プロ試験本戦にて
囲碁はそこまでたくさん打った印象はないのですが、彼が入段(プロ入り)を決めた年の本戦リーグラスト2局目で当たった記憶は鮮明に残っています。
望月少年が勝てば入段が決まる一局。対する永代少年はもうすでに圏外の成績で消化試合です。
望月プロとは同級生でもありましたし、仲が良いほうだとは思います。なので一般的な感覚だとここは譲ってあげてプロ入りを祝福してあげる。そんな思いを持った方も多いでしょう。
しかし、勝負の世界では・・・。
それとこれとは話が別です。
むしろ、仲が良いほどに自分との対局で入段が決まるなんてもってのほかです。
プロ野球でいうと、目の前で優勝の胴上げをされる気分ですね。自分で決定されるという恥ずかしいことにならないように、ものすごく気合いが入ったのを覚えています。
ちなみに望月少年のラストの相手は大場淳也少年(現七段)でした。同級生二人を残した望月少年はどこで入段を決めたのか・・・。
正解は・・・。
4周年記念イベントに来てくださいね(笑)