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2025年12月17日

【 コラム 】( vol.9) 永代和盛の囲碁人生

By igosalon
 

2回目の少年少女囲碁大会(小学3年生)

 

小学3年生で、二度目の少年少女囲碁大会の全国大会に出場している。

前にも書いたが、これといった記憶がない…。

日本棋院のデータを見にいっても、トーナメント表の記載があるのは第19回から。

井山少年が小学3年生で二連覇をしたときのことだ。

全然かすりもしていない年代である(笑)

日本棋院の記憶があるのは小学5年生で最後の少年少女囲碁大会(4度目)のときだけだ。

これはまたのちに話そうと思う。

 

叔父さんの家はピーマン地獄

 

毎年、全国大会のときは大田区にある叔父さん(父の兄夫婦)の家に泊まっていた。

そして、大会1日目で負けても、泊まるところの心配はないので、数日滞在して東京観光をしていた。

まぁ、観光は東京タワーとディズニーランドの記憶しかないことは前に書いたので割愛。

そんなことよりも、もっと「思い出深い地獄」が待ち受けていた…。

叔父さん夫婦は学校の先生をしているくらいなので、とても真面目だ。

しかも、いつもニコニコとしていて優しい。

しかし、本当の優しさの中に厳しさあり。

出された料理は全て食べ切らないといけない。

和盛少年は末っ子で、ワガママ放題で生きてきたので、食べ物の好き嫌いが激しかったのだ。

特に子どもが嫌いそうだなと思い当たる野菜などは、ほとんど嫌い。(今は食べられるようになった)

食べられる野菜より、嫌いな野菜のほうが圧倒的に多い子ども時代だった。

そんな和盛少年だから、叔父さんの家は地獄だったのだ。

特に苦手だったのがピーマン。

おえっ、となりながらも食べていた。

まあ、野菜は食わず嫌いではないということは、ここで証明できたのではないだろうか。

この出来事をずっと「ピーマン地獄」と呼んでいる。

このときの囲碁の記憶はほとんどないけれど、これだけは絶対に一生忘れないだろう。

 

従兄弟は年上ばかり

 

叔父さんの家には従兄弟が三人いた。

全員がかなり年上で、一番下の従兄弟と、うちの一番上の姉が同い年だった。

そういえば父が四人兄妹ということもあり、従兄弟が多い。

父方だけで8人の従兄弟がいる。(+うちの四人兄妹)

父方の集まりをしたら一回で20人が集まるのか…。

賑やかだな…。

ただ囲碁をやっている人は、うちの家庭以外はほとんどいない…。

 

(どうでもいい話)生まれて初めてのシャンプー

 

都会はオシャレです。

従兄弟たちの年齢が高いこともありますが、お風呂に石鹸がなかったんですよ。

実家では頭も体も石鹸で洗っていた和盛少年。

生まれて初めてシャンプーを使いました。

今でも覚えていますが、シャンプーはLUXでしたね。

今でもあの衝撃は忘れられません。

ふとしたときに、頭から石鹸ではない香りが漂ってくるのです。

なんだこれはと…。

田舎人の和盛少年には、刺激も香りも強すぎました。

(LUXは匂い強めよね)