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日: 2025年4月19日

  5年半ほど前の自分の問いかけを考える

 

ここ数日の記事で囲碁界の現状をご紹介したのですが、ふと一昔前はどうだったかなと思いました。

そちらも検証してみたいと思います。

紹介するのは2019年10月に書いた私のnote記事。

→囲碁界をヤバいと思っていない囲碁界

まぁまぁ、タイトルから煽ってる感じですね(笑)

当時は永代囲碁塾の出来事はホームページに記事を書いて、個人的な考え方のようなものはnoteに書くと分けておりました。

下記に再掲しますので、ご覧ください。

そして、この記事の感想は次回の記事で書きたいと思います。

  2019年11月20日のnote記事

 

SNSですごく立派で囲碁愛に溢れるご意見が書いてある記事を見つけたのでまずは共有を。

→ 囲碁界に最も欠けている認識はこれですよ

こういう方がたくさん増えると嬉しいですね。

さて、本題に。

このご意見は普通の業界から考えるとごもっともです。

では、なぜ囲碁界は昔からこうなのか。

そして、今なお、変革が起きる気配がないのか。

業界人の端くれとしての意見を述べます。

まずは一言で片づけるなら、表題のとおりです。

今回の「囲碁界の定義」は、囲碁棋士を中心とした日本棋院周辺の方々という前提でお話しします。

その他の方はまた別問題ということで。

正直なところ、囲碁界は表向きの口では「ヤバい、ヤバい」と言っていながらも、危機感はそこまで感じていないと思います。

なぜならば、私から見る囲碁棋士には幸せな方が多いからです。

これからヤバいと思っていない理由を挙げます。

① 囲碁棋士は本人が幸せを感じている
② 自分の人生の全てであるような成功体験を捨て切れない
③ 囲碁以外の教育をほとんど受けていない

  ① 囲碁棋士は本人が幸せを感じている

 

この記事を見ている皆さんは

① 仕事は好きですか?
② 仕事をするうえで、いくらくらい給料が欲しいと思ってますか?

囲碁棋士の皆さんは上記の質問に

仕事(囲碁)は大好きです。ずっとやっていたいです。
② お給料は多いほうがいいけれど、自分の意に沿わないことをするくらいなら少なくてもいいです。

ということを真顔で言えるほどの「囲碁(仕事)好き」です。

一生、囲碁だけやっていたい。

そして、それが実現するような錯覚を持たせてくれる業界なのです。

現に月に20万円をもらえれば、囲碁指導をしなくても、一生対局だけでも構わないと思っているような棋士は多いはずです。(最近はその20万ですら、厳しい世界になってきましたが・・・。)

さらに、指導碁や囲碁教室など囲碁指導が好きな棋士は多いです。

解説の仕事や、出版の仕事など意外と対局以外の収入もあります。

そして、大事なところが、棋士は外で派手に遊ぶよりも囲碁の勉強をしていたいという人が多いです。

収入が少ないから派手な遊びをしないということもあるのでしょうが、本質的には前者が多いかな。

そんなにお金を使わない生き物なのです。

何となく仕事を中心にしていて人生に不満がある人は、浪費癖があるケースが多いような気がしますが、囲碁棋士はそんな事態に陥りにくいのです。

人生において、お金の優先順位が低いんだと思います。

囲碁が打てて「それなり」に暮らせていければいいやと。

それなりのレベルというのは人それぞれなのです。

それが②の答えに当てはまります。

皆さんはどうでしょうか。

一生、同じ仕事をしていて月20万で満足。

そんな仕事に出会えていますか。

  ② 自分の人生の全てであるような成功体験を捨て切れない

 

小さい頃から囲碁棋士を夢見て、努力した結果で棋士になれました。

それは一つの成功です。素晴らしいことです。

一番多いケースは小学生低学年には囲碁を始めて、中学卒業~高校卒業くらいでプロになる感じかな。

青春時代の全てを捧げていると言っても過言ではありません。

自分たちは周りの同年代が外で無邪気に遊んでいるようなときや、学校で青春を謳歌しているような時代から、強烈な努力によって得た成功。

それを大人になってから「投げ出す(改革する)」というのは難しいと思います。

自分の職業に誇りを持っていれば持っているほど、その思いは大きくなることと思います。

囲碁愛好家からは「先生」と呼ばれて尊敬される仕事です。

誇りを持っていてほしいですし、誇りを持つのは当然のことだと思います。

  ③ 囲碁以外の教育をほとんど受けていない

 

社会教育は囲碁に勝つということしか教えてもらっていない人がほとんどです。(もちろん、他人に迷惑を掛けないという最低限の指導はある)

右を見ても、左を見てもライバルです。

皆さんが一般的に思うような「仕事仲間」というのはいません。

「良きライバル関係」という表現になるでしょうか。

棋士は地頭もいいし、誇りもある。

小さいころから自立した精神を持っているので、良い意味で他人に頼るということが苦手な人が多いように思います。

悪い意味でいうと団体行動ができない。

自立した精神と、社会人的に自立しているかは別問題かと思います。

  まとめ

 

私は囲碁棋士を志すも、その夢はかなわずに強制的に一般社会へと放り出されました。

しかし、幸運にも実家に仕事があり、数年はぬるい環境で社会というものを経験できたのはよかったです。(給料は最底辺でとても社員と呼べるレベルではありませんが)

それでも、仮に給料が良くても急に厳しいところに放り出されていたらどうなっていたか。

自分では頑張りきれると思いたいところですが、実際のところはどうなんでしょう。

精神を病んでもおかしくないでしょうね。

囲碁棋士の皆さんがこの状況になったらどうなるのでしょうか。

仕事は普通にバリバリとできる能力があると思いますが、囲碁以外のことをやりたいと思うかどうか。

そこに幸せがあるのか。その恐怖心はどれくらいのものか。

一般の方には理解できないレベルだと思います。

私はかなり囲碁棋士の近くにいますが、それでも理解できていないかも。

どこの世界も特殊なことはあるということを、上記の記事を書いてくれた方から言われました。

・小さい頃から全てを犠牲にしてでも就いた仕事
・誇り高い仕事(気持ちは成功者)
・引退のない仕事
・何もしなくても年収100万くらいは確定する(最近はそうでもないかも)
・お金=人生の幸せと思っていない。お金の優先順位が低い。
・囲碁だけできれば幸せである
・囲碁だけやっていれば生きていけている時代が確かにあった。

色々と一般社会からは大きくかけ離れている状況かと思います。
他の世界も特殊なケースはあるかと思いますが、囲碁界はかなり特殊なほうだと感じます・・・。

棋士であるかぎり、対局ですべて負けても年間で10局程度あります。
さらに引退がないというところ。
あとは臨時的に日本棋院から普及の仕事も回してもらえます。

囲碁棋士の皆さんは現状をどこまで本気でヤバいと思っているのでしょうか。
私にはその本気度をまだ伺えません。

それどころか幸せそうにしている棋士が多い感じもします。

外からのご意見もあるように、死ぬ気でやれば何だってやれることはあります。

ただ囲碁界は本当に愛好家や支援者の「質」が良く、恵まれている業界です。(数はどんどんと減っていますが)

現状で満足するのか、それとも次のステップにいくのか。

さすがに囲碁だけやっていれば最低限の生活で良いとは言っても、その最低限というレベルを超えてきそうなご時世で何をするのか。

囲碁界は「ぬるい」「甘い」という意見はごくまともです。
ただし、人生の幸せにおいて前提が違う生き物です。
一般的な皆さんの意見とは違うことのほうが多いです。

・それが幸せなのか、不幸せなのか。
・囲碁棋士は本気で変革を望んでいるのか?
・できれば、ずっとこの雰囲気で生きていきたいのか。

囲碁棋士ではない私には本当のところは分かりません。

多分、分からない生き物だからこそ囲碁棋士になれなかったのでしょう。

しかし、私には「囲碁棋士を志し、院生になった」というかけがえのない経験を生かしてできることはいっぱいあると思うので、地道に頑張りたいと思います。

これで何となく私が感じている囲碁棋士を理解していただけたら幸いです。

あくまで私の個人的な見解なので、これと違う感覚を持っている棋士もたくさんいらっしゃると思います。

全てに当てはまるとは思っていませんが「心当たりあるくらいにはかすっているかな」とも思っています。

意に沿わない部分は、囲碁棋士になれなかった者の戯れ言として捉えていただければと思います。

永代囲碁塾
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